MORIBITO

或ル農業人ノ備忘録

「土の文明史」に学ぶ、土との関係 ー文明を支える大地のチカラ

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未来の世代が食べられるように、土地に生命を取り戻そうとしている革新的な農民に。

 

この一握りの土に、われらの生存はかかっている。

大事に使えば、食べ物と燃料とすみかをもたらし、われらを取り巻く。

粗末に扱えば、土は崩れて死に、人も道連れとなる。

ーベーダ(サンスクリット語聖典、紀元前1500年)、D. モントゴメリー『土・牛・微生物』より

 

こんにちは、ひよっこ農業人のLuuです。

今回は、私たちが日々踏みしめているについてのお話です。

いつも当たり前のように存在する、

存在のあまりの身近さによって軽視されがちですが、実はこの土こそが、文明の発展と衰退の鍵を握っているのだと考えたことはありますか?

昔から、土は神により与えられしもの。生かすも殺すも人間次第、という考え方が世界中のあらゆるところでみられます。

 

町が建設される場所は、天の意思と地の意思をつなぐ第三の点である。

天の意思が種子を発芽させ植物へと変える。その植物を育てるのが地の意思である。

パウロ・コエーリョ「第五の山」

 

今回は「 ひとり読書会」と題しまして、D. モントゴメリーによるベストセラー「土の文明史」の内容まとめ、ちょこっと解説をします。 

 

 About :「土の文明史」

土の文明史

土の文明史

 

著者のデイビッド・モントゴメリー氏は、地質学者。ワシントン大学の教授です。

本作では地質学者ならではの視点で、古代文明から現代に至るまでの土の歴史を見ることで、社会に大きな変動を引き起こす、土と人類の関係について説いています。

 

この本を読んだら、きっと土を軽んじることができなくなってしまいます。

そして、今まで常識だと思っていたこと、ー例えば、土は耕すものであるとか、化成肥料は有機肥料に優るとか、ーそういった考えが覆されるでしょう。

なんせ、土壌環境によって、文明は発展し、そして衰退してきた、と書かれているのですから。

 

土地が支えられる以上に養うべき人間が増えたとき、社会的・政治的紛争がくり返され、社会を衰退させた。

 

 農耕は、いつ、どうやって始まった?

さて、そもそも人類が直接的に土を利用するようになったのは、いつごろのことなのでしょうか。

それは、最終氷期の終わり頃、つまり約1万年前といわれています。

氷期から間氷期への移行は過去200万年の間に何度も起きているというのに、なぜ最後に氷河が溶けたこのときになってはじめて人類は定住を始め、農耕民となったのでしょうか?

これについては様々な説があるものの、著者は「人口密度の増大が、農耕の起源と拡散に魅力的な説明を与える」とします。

狩猟採集集団が大きくなり、土地が支えることのできる範囲(=環境収容力・人口支持力)を超えると、 集団の一部は分かれて移動をしました。移住可能な豊かな土地がなくなると、増えゆく人々は、環境から生活手段を得るために、より集約的な手段を発達させました。

このように、増大する人口をなんとかして養わなければ・・・!という圧力により、人々は自分たちで食糧を生産し、土地からより多くのものを手に入れるようになっていったのでした。

 

農耕は人口の増大に対する自然な行動反応と解釈することができる 

 

間氷期のポイントは、雨が増えたこと!

氷河期に対して、どのようなイメージを持っていますか?

氷河期はいまよりも寒く、そして乾燥していました。

それなので、間氷期に向かって暖かくなると徐々に降水量が増加し、植物の生育に適した環境が形成されていきました

 

イスラエル北東部のフレー湖の湖底からボーリングしたコアは、紀元前1万3千年〜1万1千年ごろの樹木の花粉が、急増したことを示しているそうです。この時期に植物の生育が活発化したことが分かります。

 

計画的に穀類の栽培が行われた最初期の証拠が、現在のシリアにあるユーフラテス川源流のアブ・フレイラから見つかっています。 

この地域において、人々は豊富な獲物と野生の穀物(ライムギ、コムギなど)といった豊かな資源を得られるようになりました。

そうして狩猟採集民は、資源が特に豊富な場所での定住社会を築き始めたのでした。

 

約1万〜9000年前、世界の気候は氷河時代に逆戻り

更新世の終わり頃、世界の気候は再び寒冷化し、降水量も減ってしまいました。

各地で食糧の供給が激減したため、居住地域での食料が減ったからといって、それまでのように別の地域に移動するわけには行かなくなりました。

やむをえず、アブ・フレイラの住民たちは、寒く、乾燥した環境下でも生き残っていた野生のライムギとコムギの変種の栽培を始めたのでした。

そしてこのような適応は、中東の各地や南米、メキシコ、中国でもみられるそうです。

 

おそらく、新ドリヤス期の急激な気候変動のせいで、資源ベースを失いつつあった半定住民は農業を試さざるを得なくなったのだろう。 

 

農業を始めて人口増加。そして社会は畑に依存。

環境からより多くの食糧を得ることができるようになった集団は、干ばつや極端な寒さなどの災害をうまく切り抜けられるようになりました。

苦しい時期がくると、畑仕事の経験がある集団のほうが 有利になり、順調なときには繁栄しました。

集約的で効果的に生計を立てる方法が発達したことで、人口は狩猟採集生活で支えられる限度を超えて増加しました。

そして社会は増えゆく人口を支えるために、自然生態系の生産力の拡大に頼るようになっていきました

あちらこちらに動き回っていては作物の世話も収穫もできないので、初期の耕作者は定住生活を営むようになりました。

 

一度農業の歩み始めた人類に、戻り道はなかった。 

 

農業革命

農業と畜産の革命的な融合

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ウシ=労働力、施肥

ウシは、畑を耕す労働力にも、畑に肥料を与える役にもなりました

動物の労働力を動員すると農業生産性は高まり、人口は更に増大しました。

 

作物生産と畜産の同時発達は、互いに補強しあい、共に食糧生産の増加を可能にした。 

 

ヒツジやウシなどの家畜は、植物の人間が食べられない部分を消化し、人間は乳や肉を利用することができます。

そして、家畜は労働力として収穫を増やすだけではなく、その糞尿は肥料として、作物が吸い上げた土壌の養分を補充するのに役立ちます。

増収分の作物はさらに多くの動物を養い、より多くの肥料が生み出され、また収量が増加してより多くの人を養う、という正のサイクルが生まれました。

 

爆発的な人口増加が環境収容力を超える

 

人口増加は食糧生産の増加と足並みを揃えていたので、食糧増産の圧力は高まっていった。それが今度は土地からより多くの食糧を搾り取ろうとする圧力を高めた。 

 

最初の社会が農耕生活に落ち着いてからまもなく、増収を続けていた作物の収穫高が損ない始めました。集約的な農業と家畜の過放牧により、表土の侵食と土壌の生産性の低下が起きたためです。

そして、それが直接的な原因となって、紀元前6000年ごろにはヨルダン中部のすべての村が放棄されたのでした。

 

灌漑農業のはじまり

 

ザクロス山脈での台地の侵食と人口の増加は、農村を低地へと追いやったが、そこは栽培のために十分な雨が降らない土地だった

だんだんとこのような周辺地域を耕作する必要に迫られて、農法に大きな革命が起きた。灌漑農業である。

・・・

耕地に水を送る水路を建設・維持しながら、集落は氾濫原に沿って南へと拡がった。

 

それまで生活していた台地が使い物にならなくなると、人々はその地を捨て、低地(氾濫原)へと移動しました。しかし新たな土地では雨が少なく、それまでのように天水に頼った農業を行うことが困難となりました。そこで、人々は農耕に必要な水を得るために、灌漑をはじめました。

そして、行う場所を、行うことに適応させようとする農業が始まったのでした。 

灌漑の罠、塩類集積

灌漑により、農業生産は劇的に向上しました。一方、日差しの強烈な氾濫原を豊かな農地に変えることには、大きな危険が潜んでいました。

半乾燥地帯の地下水は、通常多量の溶解塩を含んでいます。河谷や三角州など、地表近くに地下水面があるところでは、毛細管現象によって地下水が土壌に上がってきて蒸発し、その結果土壌に塩分が残ってしまいます。蒸発速度が速いと、やがて作物を害する量の塩類が生成されてしまう可能性があります

 灌漑は長い目で見ると、土地を不毛の地に変えてしまう危険性をはらんでいたのでした。

 

低地から斜面への移動。そして起こる、文明衰退。

台地から低地へと移動してきた人々は、灌漑農業により余剰食料の確保を実現し、さらに人口を増やしていきました。すると、以前と同じことが起こりました。人口が、土地が支えることのできる範囲を超えてしまったのです。

そして人々は農耕を斜面へと拡大し、作物の収量を増やそうとしました。

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農耕の移動・拡大:台地→低地→斜面

 

人口が氾濫原の生産力を超えて増加し、農耕が周辺の斜面に拡がったとき、土壌枯渇のサイクルが始まり、そのために文明は次々と衰えていったのだ。

 

耕作により、斜面の土壌は侵食を受けやすくなります。そして、連鎖的に低地での洪水被害を増やします。どういうことでしょうか?

まず、斜面を拓くと表土がむき出しにされ、侵食を受けやすい状態となります。そしてさらされた表土(シルト)は低地へと流れ出ていきます。そして、河へと流れ落ちたシルトはだんだんと溜まり、川床が高くなります。こうして、低地での洪水が起こりやすくなるのです。

斜面での耕作が引き金となり、様々なところで土壌が枯渇して十分な食料を得られなくなり、次々と文明が衰えていったのでした。

 

捨てられた土地の行方

人々は定住した土地の肥沃度が低下するとその地を去り、別の地へと移動することを繰り返してきました。

では人々の去った地はその後、どのように変わっていったのでしょう。ずっと栄養に乏しい不毛な地のままだったのでしょうか?

いいえ、そうではありません。疲弊した畑を捨てる慣行には、土地を周期的に休耕させる役割がありました。

捨てられた土地には徐々に草が生え、低木が茂り、やがては森が再生していきました。数年間耕作されて数十年間休耕された土地には、再び森林が定着して土壌が復活していきました。そして、数カ年後には再び開墾して植え付けることができるようになったのでした。 

 

人口増加に伴う開拓と侵食のサイクルは、移住、人口減少、新たな土壌生成というサイクルに移行した。  

土壌をいかす秘訣

 

この一握りの土に、われらの生存はかかっている。

大事に使えば、食べ物と燃料とすみかをもたらし、われらを取り巻く。

粗末に扱えば、土は崩れて死に、人も道連れとなる。

 

冒頭でも取り上げた引用ですが、大事なエッセンスが詰まっているのでもう一度。

これまで見てきたように、土壌を消費し続けるとやがては失われてしまいます。土を永く肥沃な状態で保つには、手入れをすることが必要です。それも、正しく手を加えることが。

 

土壌管理、保全

 

土壌管理の秘訣は、肥沃度を維持し、侵食を防ぐこと 

 

良い土壌は、良い農地の要ともいえます。いい土壌を保つには、土壌肥沃度を維持することと、土壌自体の喪失を防ぐことが重要です。

土壌肥沃度を維持する鍵として、同じ土地で牧畜と畑作を交互に行うことが挙げられます。これにより、無機物と有機物の混合した肥沃な表土を作り出すことができます。

そして同じくらい重要なのが、土壌自体の侵食を防ぐことです。

 

土壌保全の手段

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土壌保全の手段として、侵食や貧栄養化を防ぐための様々な手段があります。いずれも、目新しいものではありません。長い歴史の中で経験的に行われてきたことが、現代になって科学的nに有用性が認められ、その価値が再発見されています。

風雨によって土や肥料が流れ出るのを防ぐための等高線栽培、表土の露出を防ぐための被覆作物の栽培、栄養素の欠損を防ぐための輪作マルチングなど、さまざまな方法があります。

急斜面の畑を階段状にすると、なんと土壌侵食を80~90%減少させられるそうです。※棚田は、等高線栽培の一つです。被覆作物としては、初期生育の速いクローバーなどの牧草がよく用いられます。クローバーはマメ科植物。窒素固定細菌と共生しているため、栽培により土中の窒素を増やすことができます。また、 植物残滓を土にすき込まず地面に残すことでマルチの働きをさせれば、水分を保持し、侵食を遅らせるのに役立ちます。

魔法の農法 :経費削減、環境負荷低減、しかも収量増

近年、特に米国において、ある農法が流行っています。不耕起栽培です。

著者のD. モントゴメリー氏も、土壌侵食を減少させるのに非常に効果的な方法であると絶賛しています。

不耕起栽培とは、前年の収穫物の切り株を残したままの地面に穴を開けて種を播き、収穫物残滓とともに土をかぶせる栽培法のことです。

 

近年急成長を遂げているこの農法、なぜ多くの農家が取り入れているのでしょうか?

それは、経済的利益が農家にあるためです。

土地を耕さないことで機械を使わずに済むため、燃料消費量を削減できます。そして、削減した分の燃料を他にあてられるため、結果的に多くの収量を確保できます。畑に大型機械が入らず、土壌の直接的な撹乱を最小限にすることができるため、土壌の質や有機物、生物相が向上するというメリットがあります

 

農家が不耕起栽培を採用しているのは、費用を削減しながら将来への投資になるからだ。

・・・

不耕起農法の低コストぶりには、大規模農場の間でも関心が高まっている。

 

そして、被覆作物や緑肥、生物農薬といった代替農法は、不耕起農法を補完するものとして実用的であることがわかっています。

つまり、有機農法と慣行農法の作付体系により、土壌肥沃度を低下させることなく利益を生むことができるのです。 

 

行うことを、行う場所に適応させる

 

文明の寿命は、農業生産が利用可能な耕作適地のすべてで行われてから、表土が侵食されつくすまでにかかる時間を限界とする。特定の気候と地質学的環境の中で土壌が再生するまでにかかる時間が、農耕文明が復興するまでに要する期間を決める。 

 

歴史を通じて、新たに耕作できる土地があるか土壌生産性が維持されている限り、社会は発展し繁栄してきました。

私達に残されている道は、土壌生産性の維持に他なりません。そのために、著者は新しい農業哲学を持つことが必要だといいます。

著者の説く農業哲学とは、土壌を化学システムとしてではなく、地域に適応した生物システムとして扱うことです。つまり、農業生態学の視点を持つことを要求します。

土壌、水、植物、動物、微生物の複雑な相互作用に立脚した農業生態学は、画一化された製品や技術を使用するよりも、地域の条件と背景を理解することに依拠する。

・・・

習慣や都合でやるのではなく、頭を使って農業をするのだ。

 

技術に合わせて土壌環境を変えようとするのではなく、土壌のポテンシャルが生きるような農業をすることが大切、ということです。

無理な負担をかけようとするとあらゆるコストがかかり、結果として何かを失うことになります。しかし、与えられたものを慈しみ、その潜在的な力をいかすことで、コストを下げるばかりかより良い結果を得ることができるのです。

 

 まとめ

Point

  1. 人口が環境収容力を超えると社会的・政治的紛争が起き、社会が衰退した
  2. 人口増加と食糧増産は、足並みをそろえている
  3. 農業哲学の転換が必要:土壌を地域に適応した生物システムとして扱う
  4. 代替農法は、工業的農法を上回る利益を上げうる